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タチオンWalking(多摩武蔵野ウォーキング情報)
 
青梅市
YOSHINOBAIGO
           
 
よしのばいごう 
奥多摩の山々を背景に、古くは青梅街道の宿場町として、また現在では観光地として栄える街・青梅。今回のウォーキングでは、市名にもある「梅」をキーワードに散策してみました。 このコースでは、人気観光スポットの吉野梅郷だけではなく、市名の由来となった天然記念物の梅の木や、有名歴史作家が暮らした家の庭に咲く梅など、とにかくたくさんの梅に出会えます!
 
 
全長
約6キロ
所要時間
約2時間30分
Access :電車
JR青梅線「青梅駅」下車
Access : 車
圏央道「青梅IC」から青梅街道・旧青梅街道を青梅、奥多摩方面へ約20分
おすすめシーズン
2月下旬〜3月下旬は観梅ができる
 
 
 
1 JR青梅駅
 ↓
徒歩10分
2 旧稲葉家住宅
 ↓
徒歩3分
3 金剛寺・将門誓いの梅
 ↓
徒歩20分
4 和田橋
 ↓
徒歩15分
5 吉野梅郷・梅の公園
 ↓
徒歩20分
6 吉川英治記念館
 ↓
バス15分
7 JR青梅駅
 
 
 
 JR青梅駅 --- 旧稲葉家住宅     200年の歴史を感じられる建物。腰をかがめて中へ入ったその先には・・
 
まずは、JR青梅駅からロータリーを回って、正面を走る青梅街道に出る。新宿から荻窪、田無、小川、箱根ヶ崎などを通って青梅・奥多摩方面へ抜けていくこの道は、徳川幕府の成立により大都市へと発展し始めた江戸の中心・江戸城の大改修工事で使用する石灰を青梅から輸送するために整備された。

青梅駅から西(奥多摩方面)へ折れると、道路の両側には新しい建物の間に古い建物が並んでおり、歴史を偲ぶことができる。旧青梅宿は、お隣の東青梅駅周辺からこの辺りまで長く続いていた。 駅から10分ほど歩くと、建ち並ぶ建物の中に、ひときわ風格のある木造のお屋敷が登場。こちらの建物は一般にも無料開放されていて、「旧稲葉家」という案内板が立っている。江戸時代後期に建てられたものだそうで、木材や織物などを売っていた商人宅だ。現代なら、青梅線の特別快速で1時間もあれば新宿に出ることができるが、当然、江戸時代に電車はない。このお宅の軒先は、西多摩周辺に住む人々の活気で賑わっていたことだろう。正面玄関を腰をかがめながら入ると、女性の管理人さんが声を掛けてくれる。「最近の住宅は、20年や30年で建て替えなきゃいけないのに、この建物はもう200年以上もこうして建ってるんですよ」。そのありがたさは、建物へ一歩足を踏み入れただけで、誰の身にも伝わってくるはずだ。
旧稲葉家住宅
住所 東京都青梅市森下町499
TEL 0428-24-6143
 
 金剛寺・将門誓いの梅    「青梅」の地名。それは意外な人物にゆかりのある、一本の梅の木に由来する。
 
「青梅」という市の名前。吉野梅郷の梅祭りを中心に、毎年2月〜3月の梅の花が咲く頃にはたくさんの観光客で賑わうことから、なんとなく「梅」が市のシンボルであることは頷ける。でも、なんで「青い梅」?それは、ある1本の梅の木に由来する。青梅を代表する古刹の1つ「金剛寺」の境内に立つ梅の木がそれだ。

旧稲葉家住宅の先を南へ曲がると、右手前方に長い木の壁が見えてくる。ここが金剛寺だ。境内に、都の天然記念物に指定されている、市名の由来となった梅の木が立っている。大きさは、それほど大きな木ではない。この1本だけが他と比べて花がたくさん付いているというわけでもない。では、なぜ天然記念物に指定され、市名の由来にもなっているのか。

その謎を紐解くには、今から1000年以上も遡る必要がある。当時、関東地方で勢力を拡大していた平将門が、戦勝祈願のために梅の枝を地面に突き立てた。「わが願いが叶わないのならば、枯れてしまえ」。すると、梅の枝はしっかりと根付いて葉を実らせたという。この梅の木は夏を過ぎて秋になっても実が黄色くならず青いままだったことから、この地を「青梅」と呼ぶようになったのだそうだ。ここまでは言い伝えなので、定かではないが、今でもこの木が青い実を付けたまま秋を迎えることがあるのは事実である。突然変異で、このような梅の実が育つことがあるらしい。

金剛寺「将門誓いの梅」
住所 東京都青梅市天ヶ瀬1032
 
 青梅街道--吉野街道--吉野梅郷    花と雪のグラデーションを楽しめることも!?人気の観梅スポットを歩こう!
 

青梅街道から、吉野街道方面へ。途中、和田橋から望む多摩川は、嫌なことが全部吹き飛んでしまうくらいの美しい絶景だ。ぜひカメラのご用意を!

吉野街道を西へ進むと、いよいよ梅の人気スポット「吉野梅郷」。一帯には鎌倉の梅、中心地梅林、岩割の梅など、たくさんの梅の見所がある。中でも1番の観梅スポットとして親しまれているのが「梅の公園」。毎年2月〜3月に梅祭りが催され、たくさんの観光客で賑わっている。取材前日に雪が降ったため、花の咲き具合が心配されたが、まずまずの7分咲き。逆に真っ白な雪とピンクの花が織り成す、めったに見られない美しい光景を目にすることができた。こんな素敵な風景に出会えるのも、青梅ならではなのでは?公園の北口では屋台も出ていて、「梅まんじゅう」などのおみやげを買うこともできる。

吉野梅郷「梅の公園」
住所 東京都青梅市梅郷4
TEL 0428-24-2481
関連リンク 多摩の梅園・梅まつり情報
 
 吉川英治記念館    静かな山里で、源平の争乱に想いを馳せる。吉川文学にふれてみよう!
 
吉野梅郷の先には、昭和の時代、ある有名な歴史作家が暮らしていた。『宮本武蔵』、『太閤記』、『新・平家物語』、『私本太平記』などの著作で有名な吉川英治だ。横浜で生まれ、赤坂で暮らしていた彼は、太平洋戦争の激化に伴って、1944年に梅の名所・吉野村(現・柚木町)に疎開してきた。戦中、戦後を通して10年間暮らしたこの地で、晩年の大作と評される『新・平家物語』を執筆。吉川は、奥多摩の山々に抱かれながら、平清盛、源頼朝、義経、義仲など、作品に登場する英雄たちや、平安末期をたくましく生き抜いた庶民たちの心へ思いを馳せていたのだろう。

現在でも、彼とその家族が住んでいた母屋と、書斎「草思堂」が残されており、敷地の一角に建てられた記念館には、数々の名作の原稿や色紙、書簡などが展示されている。コンピュータやインターネットの普及により、すっかりパソコンのキーボードをカタカタ叩いて原稿を書くのに慣れてしまった私には、手書きで力強く言葉がつづられた原稿用紙や、用紙が真っ赤になるまで赤入れをしたゲラ(誤字脱字やレイアウトをチェックするための仮刷りのこと)を眺めていると、物書き魂が熱くなる思いがした。

疎開先とはいえ、吉川は10年もの長い時間を過ごし、1つの大作を書きつづった地・吉野村を愛していた。村人からも愛されていた彼がついに吉野村を去るというときには、なんと300人もの人々が「お別れの会」に集まった。現在は青梅市の名誉市民となっている。そんな彼だから、当然ながら梅が好きだったそうだ。今でも、吉川英治記念館の庭には、多くの梅の木が立っている。

梅づくしのウォーキングは、ここでおしまい。帰りは、記念館のすぐそばにある「柚木」停留所からJR青梅駅行きの都営バスが出ているので、これを利用するといいだろう。

吉川英治記念館
住所 東京都青梅市柚木町1-101-1
TEL 0428-76-1575
営業時間 3月〜10月/10時〜17時
11月〜2月/10時〜16時30分
※入館は閉館の30分前まで
休館日 月曜日
入園料 大人500円、中高大学生400円、
小学生300円
HP 吉川英治記念館
【取材後記】   こぐまのウォーキング日記
吉川英治記念館の梅
取材前日の大雪に、「明日は取材、ムリかな〜?」と思いましたが、当日はポカポカ陽気の晴天。我ながら「晴れ男」ぶりに関心。思いもよらない梅の花と雪の競演を楽しむことができ、最高の初ウォーキングとなりました。(最後の吉川英治記念館に辿りつく寸前で、気まぐれなにわか雪に降られたけど・・・。)
日に日に暖かさが増し、文字通り春の足音を感じるこの季節。感動を探しに、家族や友人・恋人を誘ってお出掛けしてみませんか?

(注)花粉症の方はマスクの用意をお忘れなく・・・!!
                           
取材担当:こぐま
 
 
 
 

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