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多摩武蔵野ウォーキング
 
葛飾区  KATSUSHIKA
  柴又帝釈天・矢切の渡し・水元公園

しばまたたいしゃくてん・やぎりのわたし・みずもとこうえん

寅さんゆかりの地を巡り、初夏の花菖蒲園を訪れる東京故郷ウォーキング

東京の東端に位置し、江戸川を境に千葉県と接する葛飾区柴又は、今も下町情緒と町人文化が残る人情深い町。映画『男はつらいよ』の寅さんの故郷として知られる帝釈天界隈には、寅さんゆかりのスポットが多く点在し、名物だんごや土産物の商店を巡る参道歩きも楽しい。また江戸川には昔ながらの渡船「矢切の渡し」が残っており、穏やかな川面をすべるひと時も心地よい。さらに江戸川上流を辿れば、都内屈指の広さを誇る水元公園があり、水辺に広がる緑と季節の花々を楽しむことができる。今回ご紹介するのは、柴又の町から江戸川沿いを歩き、花菖蒲が咲く初夏の水元公園を散策する、東京の故郷ウォーキング。どこか懐かしく、じんわり心に染み入る癒しのスポットが満載だ!

 
 
全長
約7.5キロ
寅さん像
所要時間
約4.5時間
Access :電車
京成金町線 柴又駅下車
Access : 車
国道6号線から柴又街道を南へ約1km
おすすめ
シーズン
花菖蒲の咲く5〜6月頃
 
 
 

1 柴又駅
 ↓
徒歩10分
2 柴又帝釈天
 ↓
徒歩5分
3 葛飾区山本亭
 ↓
徒歩1分
4 葛飾柴又寅さん記念館
 ↓
徒歩5分
5 矢切の渡し・柴又公園
 ↓
徒歩30分
6 水元公園・花菖蒲園
 ↓
徒歩5分
7 南蔵院・しばられ地蔵
 ↓
徒歩8分
8 香取神社
 ↓
徒歩30分
9 閘門橋
 ↓
バス15分
10 金町駅
 
 

 帝釈天参道・柴又帝釈天   下町情緒と人情がじわりとにじむ寅さんの故郷

 
都心から千葉方面へ向かう京成線は、平日でも朝から元気な中高年行楽客の姿を多く見かける。予想通り、そのほとんどの人が柴又駅で降りていく。ホームから線路を渡り、ちょっと古めかしい平屋建ての駅舎を出ると、駅前広場に建つブロンズ像が、早速降車客を出迎えてくれる。中高年行楽客のお目当てはまさにこの人。東京のはずれにある柴又の名を全国に広めた「フーテンの寅」こと、車寅次郎の像である。この像は第40作「寅次郎サラダ記念日」で、旅立つ寅次郎がさくらの方を振り返ったシーンがモチーフとなっている。

「フーテンの寅」像「フーテンの寅」像
平成11(1999)年完成
  『男はつらいよ』の石碑
参道の入口右手に建つ『男はつらいよ』の石碑
寅さんのお馴染みの口上が刻まれている
  柴又は、渥美清演じる「寅さん」でお馴染みの映画『男はつらいよ』シリーズの舞台となった町。駅から続く帝釈天参道を入れば、そこは映画の中で見た昔懐かしい商店街の風景が広がっている。明治・大正時代に建てられた古い店舗を含む30軒ほどの店が連なる商店街には、柴又名物のだんごや手焼きせんべい、手作り飴、佃煮、漬物、木彫りの民芸品などが並び、参道は伝統と活気、そして昭和風情のノスタルジックな雰囲気に満ちている。まずは寅さんの実家の商売でもあった名物だんごを味わってみたい。そして土産物屋をひやかしながら、ゆっくりと参道を歩いていこう。

映画の風景を思い出させる帝釈天参道
映画の風景を思い出させる帝釈天参道
  高木屋は『男はつらいよ』出演者の控え室の店として映画に協力
高木屋は『男はつらいよ』出演者の控え室の店として映画に協力

風情ある店構えの漬物屋
風情ある店構えの漬物屋
  団子屋とらやは寅さんシリーズ1〜4作目まで撮影に使用された
団子屋とらやは寅さんシリーズ1〜4作目まで撮影に使用された

■帝釈天参道の土産物あれこれ
店先に並ぶ昔ながらのせんべい
店先に並ぶ昔ながらのせんべい
  柴又名物のだんごは店内の喫茶室でも食べられる
柴又名物のだんごは店内の喫茶室でも食べられる

作り飴を買って散策のお供に!
作り飴を買って散策のお供に!
  縁起物のだるまや、はじき猿などが並ぶ
縁起物のだるまや、はじき猿などが並ぶ
  ご当地「柴又ラムネ」は懐かしい味!
ご当地「柴又ラムネ」は懐かしい味!

参道を突き当たり、いよいよ柴又帝釈天の二天門に到着。
門をくぐると、正面に帝釈堂、右手に本堂、左手に御神水、大鐘楼が建ち、境内は広々としてとても静かだ。早速、御神水に立ち寄り、帝釈堂を参拝するが、靴を脱いで拝殿内に上がると、普段訪れる仏教寺院とはちょっと違った雰囲気を感じる。
ここでは地元の信仰も篤く、参拝も床に膝をつき、丁寧に正座してお参りをするのがお行儀だ。

寅さんが「産湯をつかった」と言う口上でもお馴染みの帝釈天だが、帝釈天とは、実はインドの神さまである。
インド最古の聖典である「リグ・ヴェーダ」の中で、最高神的地位を持つ武勇神インドラのことで、梵天とともに仏法守護の善神とされている。

柴又帝釈天(題経寺)
柴又帝釈天(題経寺)
住所 葛飾区柴又7-10-3
電話 03-3657-2886

明治29年(1896)建立の二天門
明治29年(1896)建立の二天門

本堂の祖師堂
本堂の祖師堂
帝釈堂。昭和4年(1929)建立の総欅造り
帝釈堂。昭和4年(1929)建立の総欅造り

柴又帝釈天は、正式名を経栄山題経寺といい、寛永年間(1629)に禅那院日忠上人によって開山された日蓮宗の寺。ご本尊は日蓮聖人のご親刻といわれる帝釈天の板本尊を安置していたが、江戸中期に一時所在不明となり、その後安永8年(1779)、本堂修理の際に発見された。その発見の日が庚申の日に当たったため、帝釈天では庚申の日に縁日が行われるようになったという。ご本尊を発見した第9代日敬上人は、この板本尊を自ら背に背負い、飢饉や疫病で苦しむ江戸の人たちに拝ませて不思議なご利益を授けたと伝えられている。

昭和30年(1955)建立の大鐘楼
昭和30年(1955)建立の大鐘楼
タワシで穢れを洗い流せるといわれる浄行菩薩
タワシで穢れを洗い流せるといわれる浄行菩薩
寅さんが産湯をつかったとされる御神水
寅さんが産湯をつかったとされる御神水

参拝後、そのまま帝釈堂の彫刻ギャラリーを訪れた。
ここは知らないと見過ごしてしまいそうな拝殿裏手にあるが、帝釈堂の外壁には実に素晴らしい彫刻が施されているのだ。

帝釈堂は、昭和4年(1929)に建立された総欅造りの堂。その内外には数多くの木彫りがあり、中でも内陣の外壁を飾る「法華経絵巻」を彫った十枚の胴羽目彫刻は見事だ。一枚板は縦1.27m、横2.27m、厚さ20cmのふすま大のケヤキ材で、大正末期より昭和9年までの十数年の歳月をかけ、当時の名人10名の彫刻師の手により完成した大作である。
胴羽目彫刻は、第16代日済上人の発願だったそうだが、仏教説話の彫刻が寺院の社殿を飾る外観は荘厳で圧巻。ご本尊が帝釈天というだけに、その彫刻の多さと壮麗さは本場インドの寺院に近いものがある。

彫刻ギャラリー
彫刻ギャラリー
開館時間 9:00〜16:00
料金 邃渓園と合わせて大人400円、小中学生200円

細かい彫刻がびっしりと外壁を覆う
細かい彫刻がびっしりと外壁を覆う
  彫刻は紙芝居のように分かりやすく仏教説話が語られている
彫刻は紙芝居のように分かりやすく仏教説話が語られている

彫刻ギャラリーのチケットで帝釈堂の奥にある邃渓園にも入れる。北側に和風庭園、南側には信徒の接待所として昭和4年(1929)に建立した大客殿が建ち、回廊を伝いながら庭園をひと回りすることができる。

大客殿から眺める邃渓園
大客殿から眺める邃渓園
庭園を巡る回廊
庭園を巡る回廊
回廊から庭園と大客殿を望む
回廊から庭園と大客殿を望む
 

 葛飾区山本亭   和洋折衷の住居と海外でも評価の高い日本庭園が広がる邸宅

 
帝釈天の南側の路地を通り、東に向かって歩いていくと、柴又の名所の1つである葛飾区山本亭がある。葛飾区山本亭はカメラ部品メーカー・山本工場の創立者、山本栄之助氏の元邸宅。大正15年から昭和5年まで増改築を重ねながら、昭和63年まで4代に渡って居住していたところだ。
部屋は全て庭園に面し、とても明るい
部屋は全て庭園に面し、とても明るい
昭和初期のデザインを施された鳳凰の間
昭和初期のデザインを施された鳳凰の間
寄木モザイクの床やステンドグラスが美しい
山本亭
葛飾区山本亭
住所 葛飾区柴又7-19-32
電話 03-3657-8577
開館時間 9:00〜17:00
休館日 第3火曜日(祝日の場合は直後の平日)
12月の第3火〜木曜日
入館料 100円 (中学生以下は無料)

屋敷は木造瓦葺き2階建ての建物で、当時としては珍しい二世帯住宅の形となっている。居宅は伝統的な書院造りの和室や昭和モダンの洋室があり、また移転当時からある古 い土蔵や、離れの茶室、和洋折衷様式の長屋門を備え、地下には防空壕も残っている。270坪の庭園は池や滝のある典型的な書院庭園で、昭和初期の庭園様式を今に残す貴重な 風景。アメリカの日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズガーデニング」のランキングでは2004〜2007年の4年連続で3位にランクされており、海外でも評価の高い美 しい庭園である。

縁先には池泉が広がる
縁先には池泉が広がる
花の間では茶会が開かれ、庭先には花菖蒲が咲いていた
花の間では茶会が開かれ、庭先には花菖蒲が咲いていた
洋風に建てられた長屋門
洋風に建てられた長屋門
袖部屋にもステンドグラスの窓がある
 

 葛飾柴又寅さん記念館   日本人の心に沁みる『男はつらいよ』と寅さんの世界

 
葛飾区山本亭のすぐ裏手には葛飾柴又寅さん記念館がある。東側のガード下から入口を入ると、もうそこは『男はつらいよ』の映画の世界。館内には、大船の撮影スタジオで実際に使われていた「くるまや」のセットがそのまま展示されており、くるまやと帝釈天参道の模型や、撮影に使用された小道具なども展示。映像コーナーや記念撮影コーナーもあり、寅さんの世界にどっぷりと浸れる楽しい記念館だ。

くるまやのセットがそのまま展示されている
くるまやのセットがそのまま展示されている
寅さんのトランクの中身、全財産がこの中に!
寅さんのトランクの中身、全財産がこの中に!
寅さん記念館
葛飾柴又寅さん記念館
住所 葛飾区柴又6-22-19
電話 03-3657-3455
開館時間 9:00〜17:00
休館日 第3火曜日(祝日の場合は直後の平日)
12月の第3火〜木曜日
入館料 一般500円、児童・生徒300円、シルバー400円
 

 矢切の渡し・柴又公園   江戸川をのんびり渡る都内唯一の渡し舟

 
寅さん記念館の屋上
葛飾柴又寅さん記念館の屋上
サイクリングロードと柴又公園
葛飾柴又寅さん記念館の屋上に上がると、江戸川河川敷の柴又公園に出られるから不思議。一面緑の草に覆われた公園は、スポーツをする人や川沿いの散策をする人が多いようだ。降り注ぐ太陽の下を江戸川に向かって歩いていくと、川面をのんびりと渡る小舟の姿が目に入った。これが演歌にも歌われた、東京で唯一の渡し舟「矢切の渡し」だ。
江戸川と矢切の渡し
サイクリングロードと柴又公園 江戸川と矢切の渡し

観光地化されているとはいえ、昔ながらの渡しの風景に思わず感動してしまった。船着場は江戸時代と変わらないような木造の乗降はしごが架けられ、運賃は片道100円と低料金。
舟は20人ぐらいが乗れる木造の小型舟で、船頭が棹一本を巧みに操りながらゆっくりと漕いでいく。現代の東京では信じられないような風景だが、珍しい乗り物だけに、対岸の松戸市にたとえ用がなくても乗船する価値は大いにアリだ。
矢切の渡し
矢切の渡し
住所 葛飾区柴又7-18先
電話 047-363-9357(矢切渡船)
営業時間 9:30〜16:30
(夏季は毎日運行、冬季は土日祝日と庚申の日のみ運行)
料金 (片道) 大人100円、小人50円
矢切の渡しの船着場
矢切の渡しの船着場
渡し舟は木造の小型舟
渡し舟は木造の小型舟
船上から江戸川を眺める
船上から江戸川を眺める

渡し舟から眺める江戸川の流れは、穏やかでとても静か。日差しは強いが、川面を渡る風は涼しく、水中には無数の魚の卵がゆらゆらと流れていた。川に息づく生命と季節感を同時に感じる幻想的な風景。対岸まではたった5分の遊覧だが、別世界に来たような乗り心地だ。そのまま松戸市の観光スポットを周ることもできるが、すぐに戻るなら10分ぐらい待てば次の渡し舟が到着する。 松戸市側はのどかな田園が広がっている
  松戸市側はのどかな田園が広がっている
対岸の船着場にある石碑
対岸の船着場にある石碑
矢切の渡しは、江戸時代初期に地元の住人専用の渡しとして幕府が設けた渡し場
矢切の渡しは、江戸時代初期に地元の住人専用の渡しとして幕府が設けた渡し場。東京都の葛飾柴又と千葉県の松戸市下矢切を結ぶ都内唯一の渡し 舟で、小説『野菊の墓』にも描かれている
 

 水元公園・花菖蒲園   自然豊かな水郷公園で初夏の花菖蒲を楽しむ

 
柴又公園から江戸川に沿ってサイクリングロードを北へ向かう。途中、水戸街道と常磐線の鉄橋をくぐり、そのまま歩いて東金町7丁目の信号のとこ ろで土手を下りると、桜堤の並木道が出てくる。桜堤に導かれるまま歩いていけば、水元公園の入口が見えてくる。

サイクリングロードを北へ
サイクリングロードを北へ
桜堤は水元公園へと続く
桜堤は水元公園へと続く
水元公園
水元公園
住所 葛飾区水元公園3-2(公園管理事務所)
電話 03-3607-8321
開園時間 24時間
休園日 年中無休
入園料 無料
  TOKYOおでかけガイド−水元公園

金魚展示場。国内外の金魚の養殖や品種改良の試験研究などを行っている
金魚展示場国内外の金魚の養殖や品種改良の試験研究などを行っている

リュウキンやワキン、ランチュウなどの金魚を飼育
リュウキンやワキン、ランチュウなどの金魚を飼育
水元公園は約82haもの敷地が広がる自然豊かな公園。中央には小合溜(こあいため)の水路が南北に渡り、その周りに水生植物園、花菖蒲園、ポプラ並木、メタセコイヤの森、キャンプ場、バードサンクチュアリーなどが点在する水と緑と季節の花々を楽しめるスポットだ。南東側の入口から入り、まず目についたのがオニバス池の奥に建つ金魚展示場。様々な種類の金魚を飼育する施設で、水槽に泳ぐ華やかな金魚の姿を見学するのも面白い。

公園西側に続く桜堤は、8代将軍徳川吉宗公が築いた江戸川の外堤防
公園西側に続く桜堤は、8代将軍徳川吉宗公が築いた江戸川の外堤防
全長約3.5km、約750本の桜の木々が植えられ、桜の名所となっている

桜堤の途中にある松浦の鐘 小合溜(旧名は小合溜井)
桜堤の途中にある松浦の鐘
宝暦7年(1757)に旧小合村の龍蔵寺に奉納されたのち、村に寄進され早鐘として使用された。区指定有形文化財
小合溜(旧名は小合溜井)
享保14年(1729)、江戸幕府が治水のために古利根川(現在の中川)を開削した溜め池で、古利根川の増水時にはここに水を溜めて洪水を防ぎ、平時は灌漑用水として利用された。対岸は埼玉県三郷市


この日は、ちょうど6月中旬の花菖蒲が見頃の時期で、園内では菖蒲祭りが賑やかに催されていた。約80種、約14,000株が栽培されているという花菖 蒲園は、都内でも最大規模の花園。カラフルな花菖蒲が咲き乱れる風景は、まるで織物のように美しく、繊細で豪華な花々はそれぞれの魅力で行楽客の足を止め、カメラや絵画のモデルとなっていた。
花菖蒲園

種類豊富な花菖蒲に人々もうっとり
種類豊富な花菖蒲に人々もうっとり
清楚な白い花
清楚な白い花

艶やかな紫色の花
艶やかな紫色の花
水辺にひと際映える青系の品種
水辺にひと際映える青系の品種
数少ない黄色の花
数少ない黄色の花
 

 しばられ地蔵・香取神社   珍しい風習のお地蔵さまと水無月の神事で祈願成就

 
水元公園の近隣には寺社の名所も多い。花菖蒲園から5分ほど歩いた所にある南蔵院には、大岡越前裁きで有名になった「しばられ地蔵」が祀られている。南蔵院は貞和4年(1348)に開山した寺で、昭和4年(1929)に、旧本所区中之郷(墨田区吾妻橋)からしばられ地蔵とともに現地へ移転してきた。

願かけの縄が幾重にも巻かれたしばられ地蔵
願かけの縄が幾重にも巻かれたしばられ地蔵
南蔵院(しばられ地蔵)
南蔵院(しばられ地蔵)
住所 葛飾区東水元2-28-25
電話 03-3607-1758

しばられ地蔵は昔からあらゆる願いを叶えるとして祈願されてきたが、変わっているのはその祈願の仕方。荒縄でお地蔵さまを縛って祈願し、成就したら縄を解く、という風習なのだという。お地蔵さまは人々の願いを一身に受けてぐるぐる巻きとなっており、なんだか窮屈そうだが、毎年大晦日にはちゃんと「縄解き供養」が行われるというのでホッとした。
   

また、香取神社では、毎年6月に行われる「茅の輪くぐり神事」の準備がなされていた。

茅の輪くぐりは、夏越しの祓えにくぐると延命長寿、無病息災が叶うと信仰されているもので、現在も伝承されている地元の神事。氏子によって水元公園周辺から集められたマコモで直径2mの茅の輪が作られ、鳥居の中に吊るされる。
この時期だけの神事なので、ぜひ参拝に訪れよう。

香取神社
香取神社
住所 葛飾区東水元2-41-1
 

 水元公園・閘門橋   ポプラ並木を抜け、治水の歴史を語る明治のアーチ橋へ

 
再び水元公園に入園し、水元大橋を渡って園内を散策。水辺には釣り人が釣り糸をたらし、ポプラ並木を歩けば、親子連れの自転車や散歩するカップルたちとすれ違う。公園北側にはまるで外国の森のような神秘的なメタセコイヤの森が広がり、広大な中央広場やせせらぎ広場では、子供たちが草野球や川遊びに夢中になっている。ここはとても歩き応えのある広い公園だが、次々と雑木林や自然の広場が出てきて景色に飽きないのがいい。

小合留の上に掛かる水元大橋
小合溜の上に掛かる水元大橋

約200本の大木が続くポプラ並木の通りは散策が心地よい
約200本の大木が続くポプラ並木の通りは散策が心地よい
高さ20mもの木が約1800本も密集するメタセコイヤの森
高さ20mもの木が約1800本も密集するメタセコイヤの森

中央広場は草野球には十分すぎるほど広大!
中央広場は草野球には十分すぎるほど広大!
家族で遊べるせせらぎ広場
家族で遊べるせせらぎ広場

小合留の浄化施設・かわせみの里では園内の自然情報も展示
小合溜の浄化施設・かわせみの里では園内の自然情報も展示
かわせみの里まで来たら、閘門橋(こうもんばし)はすぐそこ。閘門橋は明治時代に古利根川と小合溜井の水害防止のために造られた、都内唯一のレンガ造りのアーチ橋だ。
水元公園の出口を出て、歩道から閘門橋の展望テラスに出れば、橋の外観を眺めることができる。

明治42年(1909)完成の閘門橋。東京で唯一のレンガ造りアーチ橋
明治42年(1909)完成の閘門橋。東京で唯一のレンガ造りアーチ橋
橋の上の像は川の氾濫の際に必死に堰板を差している姿
橋の上の像は川の氾濫の際に必死に堰板を差している姿

閘門橋まで来たところで、水元公園の散策路も終了。今回のウォーキングもここでゴールとなる。休みながら歩いても、ここまで来れば足腰に心地 よい疲労感を感じていることだろう。
公園出口からは道なりに南へ下り、水元5丁目交差点で岩槻街道を左へ。街道沿いにある水元5丁目バス停から バスに乗れば、金町駅まで約15分。帰りはバスに揺られてのんびりと帰ろう。
常磐線のJR金町駅
常磐線のJR金町駅
 
 

【取材後記】 柴又帝釈天・矢切の渡し・水元公園周辺の歩き方ポイント

帝釈天参道

帝釈天参道

水元公園 花菖蒲園

水元公園 花菖蒲園

「寅さんは損ばかりしながら生きている。江戸っ子とはそういうものだと、別に後悔もしていない。」柴又駅前のフーテンの寅像の台座には、山田洋次監督の言葉で寅さんの人物像が刻まれています。人情深くて家族思い、一生懸命なのにどこか滑稽で、親しみ深いキャラクターの寅さんですが、そんな寅さんが何度旅立ってもまた帰りたいと思わせる柴又という町は、平成の時代にあっても訪れる人を温かく迎えてくれる、人に優しい町です。

『男はつらいよ』シリーズが終了し、寅さんは昭和の幻影となってしまいましたが、平成13年、再び柴又の町がホットな話題に包まれました。帝釈天参道近くに建つ柴又八幡神社の敷地内には、約1400年以上前の6世紀頃に築かれた古墳が残っていますが、その発掘調査の際に、なんと寅さんにそっくりな帽子をかぶった埴輪が出土したのです。これは学術的にも重要な資料だということですが、驚くべきは、その埴輪の顔が寅さんに酷似していたことだけでなく、埴輪の出土した日が寅次郎役の渥美清さんの命日だったということ。柴又と寅さんの間をつなぐ遠い過去からの不思議な縁を感じずにはいられない出来事でした。「寅さん埴輪」は、現在、葛飾区郷土と天文の博物館に展示されており、葛飾柴又寅さん記念館でもその複製を見ることができます。


取材担当:美月春菜

 

 
 
 
 

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