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新選組topへ
(福島県会津若松市・東京都日野市付近)
2004年の大河ドラマをキッカケに注目を集めた多摩出身の武士集団・新選組。彼らの足跡を追った歴史コラム「新選組と行く!」が、1年ぶりに復活。特別編として、新選組が運命共同体として身を寄せた会津藩や、最後まで武士としての意地・誇りを捨てずに戦い抜いた副長・土方歳三のふるさと日野について紹介する。
各々方、心して読まれよ!いざっ!!
新選組ゆかりの地・会津
  (鶴ヶ城・松平容保・近藤勇・斎藤一墓所)
土方歳三生誕の地・日野
  (土方歳三資料館・とうかん森)
   
 
  会津 武士として死ぬために――。会津藩と新選組、最期の戦い。
 
ふるさと多摩から、将軍警護を名目に上京し、禁門の変・池田屋事件などで名を馳せた新選組だが、時代のうねりに飲み込まれ、鳥羽・伏見の戦い勝沼の戦いに連敗し、ついに江戸をも離れることとなった。鳥羽伏見の戦いでは、市衛館時代からの同志・井上源三郎と死別し、流山では新政府軍に局長・近藤勇が捕縛され、ついに板橋で斬首されてしまう。

その後の新選組は、ご存知の通り、副長・土方歳三の指揮の下、北への転戦を繰り返し、ついには箱館に至るのだが、今回の特別編では「会津藩」と新選組についての話題を掘り下げてみたい。

会津藩と新選組、そもそもの出会いは京都時代に遡る。近藤たちが「浪士組」の一員として上京した頃、京都守護職として都の治安維持の最高責任者を務めていたのが会津藩主である、松平容保。新選組は、彼から京都市中警護の任を授かり、主従関係を結ぶ。その後、鳥羽・伏見の戦いではともに陣を張り幕府軍の一翼を担うほどに堅い結束で結ばれた両者。そこには、先祖より伝わる因縁も存在していた。新選組の地盤である多摩地域には、徳川家康に登用された甲斐・武田家の元家臣の一族郎党が、八王子千人同心として組織化されて暮らしており、多摩の人々との地縁的なつがりが強かった。一方、会津藩も甲斐・武田家とは浅からぬ関係。藩祖・保科正之は徳川家康の孫であり、高遠藩主・保科正直の養子となった人物。正之の祖父・保科正俊は武田信玄の重臣だったのだ。つまり、いずれも徳川家・武田家と深い縁で結ばれた者同士なのだ。こうした強い結びつきを持った両者は、幕府存亡の危機にあって、再び力を合わせることになる。

1863年4月に、流山で近藤と離別した土方率いる新選組は、宇都宮・日光を経由して会津藩領に入る。宇都宮城での攻防で負傷した土方は、別行動をとっていた斎藤一らと合流。松平容保の待つ会津若松城(鶴ヶ城)へ登城。ここで近藤の死を知らされた土方は、歴代藩主の墓所にほど近い天寧寺に彼の墓を立てて冥福を祈った。なお、近藤の死から約1ヶ月後、沖田総司もこの世を去っている。

新政府軍の本格的な会津侵攻は同年6月から始まる。約10万人もの兵力を持って、周辺の奥羽越列藩同盟の諸藩を次々に降伏させ、いよいよ会津へ。一方の会津軍は母成峠に怪我の完治した土方歳三率いる新選組と、旧幕府歩兵奉行・大鳥圭介が率いる伝習第一大隊の約900人が布陣し、これを迎え撃つ。結果は会津方の大敗。この大敗が、2人の男が袂を分かつキッカケとなる。土方歳三と斎藤一(改名して山口次郎)である。「新政府軍への抵抗を続けるために、仙台を目指そう」と主張する土方に対して、山口は「会津藩からの恩義を思えば、このまま留まって戦うべきだ」と主張。2人の意見がかみ合うことはなく、土方は大鳥とともに仙台へ、山口は13名の同志とともに残留することになる。このとき2人は己の死を意識していただろう。山口は主君・松平容保と会津藩のために死のうと考え、土方は死んでいった近藤・沖田・井上や新選組隊士たちのためにも、そして自分自身の武士としての美学を貫くためにも、ここでは死ねないと考えていたのではないか。

この後、有名な白虎隊の自害に至る、会津藩最期の戦いに臨むことになる。鶴ヶ城における1ヶ月の籠城戦の末に、ついに降伏せざるを得なくなった会津藩は、極寒の斗南(青森・下北半島)に移封され、苦難の日々を送ることとなる。この際、山口は藩士らとともに斗南へ赴き、藤田五郎と改名し結婚。のちに警視庁に勤務した。彼の墓は、会津若松市内の阿弥陀寺にある。まさに、会津人として生きた晩年だった。

鶴ヶ城(会津若松城)
住所 福島県会津若松市追手町
交通 会津若松駅からハイカラさんバス、または会津バス「鶴ヶ城北口」下車、すぐ
  会津まつり(写真下段)

近藤勇墓所(天寧寺内)
住所 福島県会津若松市東山町石山天寧208
交通 会津若松駅からハイカラさんバス、または会津バス「石山」下車、徒歩10分
藤田五郎墓所(阿弥陀寺内)
住所
福島県会津若松市七日町4-20
交通 七日町駅から徒歩1分
 
  土方歳三資料館 多摩の英雄伝を今に伝える、新選組ファンの聖地。
 
新選組副長・土方歳三の育った家は、改築されて資料館になっている。館長は、土方歳三の実兄・喜六から数えて5代目の土方佑さんの奥様・陽子さん。娘の愛さんとともに、新選組や土方歳三にまつわる歴史資料の展示や、講演会などを行なう資料館が運営されており、月2回の開館日には新選組ファンで賑わっている。新選組や土方歳三に関する質問にも答えてもらえるので、あなたの疑問もぶつけてみてはいかがだろうか?

歳三が生まれた当時、こちらの生家は多摩川のそばにあったのだが、川の氾濫により建物の一部が流されてしまい、現在の土地に移設された。現在の建物は、1990年に市の区画整理で改築する必要ができたために、かつてのお屋敷で使われていた柱や梁を用いて資料館として一室を設けたもの。入口脇には現在でも、歳三が「吾壮年武人となって名を天下に上げん」と誓って植えたとされる矢竹が繁殖しており、今なお、彼の「武士になる!」という強い意志を伝えている。

土方歳三資料館を訪れたら、帰りがけにぜひ周辺を散策してみて欲しい。「とうかん森」や市内を縦横に流れる用水路など、幼年の歳三が遊びまわったと言われる風景のカケラを見つけることができるはずだ。そして、感じて欲しい。この多摩の土地を、確かに近藤勇や土方歳三、沖田総司、井上源三郎といった、歴史に名を刻む英雄たちが駆け回っていたのだということを。時代の流れに飲み込まれまいと、自らの信じた道を貫き通した誠の武士たちがいたのだということを。

間違えなく彼らは、「多摩の誇り」だ。



土方歳三資料館
住所 東京都日野市石田2-1-3
交通 多摩都市モノレール「万願寺駅」から徒歩5分
  原則として第1・3日曜日 12時〜16時
※開館日時に関してはHPでご確認下さい

とうかん森
住所 東京都日野市新井49
交通 多摩都市モノレール「万願寺駅」から徒歩10分
 
 
   
大河ドラマ「新選組!」の放映終了から1年。今でも会津や多摩の新選組ゆかりの地には、訪問客が絶えない。歴史的な名所・観光地の場合、多くは中年以上の男性マニアが大半を占めるのだが、新選組に限っては20代・30代くらいの若い女性ファンが目立つ。たまたま会津の近藤勇墓所前で、新選組総長・山南敬助の子孫筋の方と知り合ったり、観光客の方から多摩の史跡について質問を受けたりと、熱心な新選組ファンが多いことを改めて実感。これまでに紹介してきた多摩をはじめとする新選組史跡にも、ぜひ足を運んで頂きたい。
取材・文/こぐま
 

 

 
 
 
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