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新撰組と行く!2004
(京都府京都市)
池田屋事件での活躍が認められ、いよいよ真の武士として歩き出した新選組。しかし彼らの信じる誠の道は、時代の流れという、どうすることもできない大きな力によって、音をたてて崩されていく―。
京都後編は、波乱万丈。
 西本願寺太鼓楼
 二条城
▼ 鳥羽・伏見戦跡

信長、秀吉、家康…3大英雄に受け継がれた因縁。
新選組は「禁じ手」に出る!!
池田屋事件、蛤御門の変などでの活躍で名を上げた新選組は、着々と隊士の人数が増え続け、入京以来の屯所であった八木邸・前川邸では手狭になり、新たな屯所を求めていた。そんな折、新たな屯所に、と選んだのが西本願寺。浄土真宗本願寺派の本山である。末寺や門徒が多いという理由で蛤御門の変では長州藩士の逃亡を助けた西本願寺に対して、監視を強化するという目的もあり、半ば強行に屯所を移転。これには総長・山南敬助が、由緒ある寺に対して非礼ではないかと反対していたが受け入れられず、結果として試衛館以来の同志である彼を、脱走の咎による切腹に追い込む結果となった。
西本願寺北集会所と太鼓楼を屯所とした新選組は、境内で大砲の訓練をしたりして、寺側に大変迷惑がられていたようだ。「早く、よそへ行って欲しい」そう考えた西本願寺は、費用を全額負担して不動堂村に立派な屋敷を建て、これを新選組に寄贈。西本願寺に入った翌々年に、新選組は3番目の屯所へと移っていった。
本願寺は、戦国時代に織田信長による弾圧にあい一時は瀕死の状況にまで追いやられた。信長の死後、豊臣秀吉の寄進によって現在の地に建てられたのが西本願寺。伏見城や聚楽第から建造物が移築されたりと、秀吉ゆかりの寺でもある。これに対し、秀吉の死後に徳川家康の寄進によって東六条に建てられたのが東本願寺である。
西本願寺
住所 京都市下京区堀川通花屋町下る門前町
交通 「西本願寺前」バス停からすぐ
御公儀のために、日本の国のために―。
彼らが信じた誠の道は、音を立てて崩れていった。
近藤勇・土方歳三・沖田総司ら試衛館のメンバーたちが、そもそも京都へ向かう理由となったのは、将軍警護。当初は、14代将軍・徳川家茂が天皇に御目見えするために上洛する際、京都の治安維持や将軍の身辺警備を行なうために結成された浪士組の一員だった。将軍上洛の際に宿舎となったのが二条城。
1866年、将軍・家茂が亡くなり、その約5ヵ月後には孝明天皇も崩御。尊皇攘夷の名のもとに新選組が守ろうとした2人の日本のリーダーが、この世を去ってしまう。家茂の死後、最後の将軍となる15代・徳川慶喜は、二条城で将軍宣下を受け、翌1867年には、やはり二条城で大政奉還を宣言。ここに、264年も続いた徳川幕府による統治は終結を迎えた。「御公儀(朝廷・幕府)のために、そして日本の国のために働く」という思いを持って多摩を出発し、日々の任務に励んできた近藤や土方たちにしてみれば、自分たちの信じた誠の道が音をたてて崩れていく、悪夢のような時代だっただろう。
大政奉還後、朝廷から王政復古の大号令が発せられると、混乱を避けるために徳川慶喜は大坂城へ下る。新選組はというと、主のいなくなった二条城の警備にあたっていたが、同様に二条城警備にあたっていた水戸藩士と衝突し、任務を降りた。
二条城
住所 京都市中京区二条堀川西入二条城町541
交通 地下鉄「二条城前駅」から徒歩2分
「もはや、刀や剣で戦う時代ではない」
自分たちの知らない新しい時代の幕開けとともに、京の都を後に。

将軍・慶喜を守るため、一度は大坂へ下った新選組だが、伏見警護のために再び出発。京都市中で鉄砲玉に撃たれ肩を負傷していた近藤勇と、病に苦しむ沖田総司という主力メンバー2人を欠いたまま、土方歳三が率いる新選組は、幕兵・会津藩兵とともに伏見奉行所に布陣。1868年1月3日、ついに新政府軍との間に鳥羽・伏見の戦いが始まる。
伏見奉行所の約100メートル北には御香宮神社があり、ここには新政府軍の先鋒を務める薩摩藩が陣を張っていた。隣接する高台を守っていた旧幕府側の彦根藩は、開戦するとすぐに持ち場を放棄してしまったので、伏見奉行所は高台からの砲撃に苦しめられる。剣には絶対の自信を誇る新選組とはいっても、空から降ってくる砲弾に対しては、あまりにも無力だった。奉行所を飛び出して白兵戦を挑むが、多勢に無勢。多摩出身の同志・井上源三郎をはじめ、隊士の半数近くを失うという大惨劇となった。「もはや、刀や槍で戦う時代ではない」、そう認識せざるを得ない結果だ。
伏見から撤退した新選組は大坂城で近藤・沖田と再度合流し、旧幕府軍とともに船で江戸へと向かう。すでに旧幕府軍の総大将である徳川慶喜は秘密裏に大坂を出航しており、完全に敗走の態であった。
伏見奉行所跡
住所 京都市伏見区西奉行所町・東奉行所町・桃陵町
交通 京阪線「伏見桃山駅」から徒歩5分
御香宮神社
住所 京都市伏見区御香宮門前町176
交通 京阪線「伏見桃山駅」から徒歩3分


志を持って上洛した多摩出身の若者たちだが、時代の流れに逆らうことはできなかった。敗軍の将として江戸に向かう船の中で、彼らはどんなことを考えていたのだろうか。新選組としてのこれまでの活動に疑問を持った者もいただろう。私が彼らと同じ立場だったら、何を考えただろう―。「とりあえず多摩に帰って休みたい」なんていうことを考えていたかもしれない。何しろ、心も体もボロボロだったのだから。
第6回、第7回と京都編を書き綴ってきたが、次回からは再び多摩・武蔵野での新選組の足跡を追う。
取材・文/こぐま
 
 
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