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(京都付近)
多摩出身の近藤勇、土方歳三らを中心とする試衛館道場の面々は、将軍の上洛にあたり、警護役を務める浪士組に参加。治安の乱れる京の都へと向かった。「武士よりも武士らしくなる」そう願った彼らが歴史の舞台へと華々しいデビューを飾った場所である。今回から2回にわたり、番外編として京都での新選組の足跡を追ってみたい。
 八木邸・壬生寺周辺
 蛤御門
 池田屋跡
 
 
京都で最初の活動拠点。
新選組は、ここから歴史の表舞台へとデビューした!

将軍警護のために結成された浪士組の1員として京に到着した近藤勇・土方歳三・沖田総司ら試衛館のメンバーは、壬生村にある八木源之丞邸を屯所とした。

八木家は、越前の戦国大名・朝倉氏の子孫。そのためもあって、武家屋敷と同じ造りになっている。武家屋敷は、部屋の中で刀を振り回すことができないように、一般の町人の住宅と比べて天井や鴨居が低くなっている。新選組初代筆頭局長の芹沢鴨が暗殺された際に、鴨居に刀が当たり傷がついたという話は有名だが、傷がついた背景には武家屋敷の特殊な造りがあったのだ。邸内には今でも刀傷や、芹沢がつまずいたとされる木机が残っている。

芹沢らを一掃し、京都守護職・松平容保から「新選組」の名を授かった近藤たちは、京の治安警備のために尽力。毎日、この八木邸から任務に出動して行った。隣接する壬生寺で剣術の稽古や大砲の訓練も行なっていたため、寺や住民たちからは迷惑がられたようだ。そんななか、隊士の中で一番若い沖田総司は、この壬生寺の境内で近所の子供たちと遊び、人気者だったともいわれている。壬生寺には、芹沢鴨ら隊士10名の墓がある。
八木邸
住所 京都市中京区壬生梛ノ宮町24
交通 阪急線「大宮駅」から徒歩10分
壬生寺
住所 京都市中京区壬生梛ノ宮町31
交通 阪急線「大宮駅」から徒歩12分
 
 
「八月十八日の政変」「禁門の変」幕末2つの事件を見守る。
当時の騒動を今に伝える“生き証人”

御所には9つの門がある。そのうち、御所の西側に位置するこの門は1788年の大火事の際に初めて開門されたため、「焼けて口開く蛤」に例えられ「蛤御門」と呼ばれるようになった。

有名な八月十八日の政変(1863年)では、芹沢鴨率いる壬生浪士組(新選組の前身)らが、ここから御所内に押し入ろうとして会津藩士と衝突した。この政変で御所を追われた長州藩を中心とする倒幕・尊皇攘夷派は、京から離れ時機を待つ。

翌1864年、ついに長州藩が挙兵。武力をもって上洛し、天皇に攘夷を訴える。御所の警備にあたっていた会津・桑名・薩摩藩の兵士らの抵抗にあいながらも進軍し、蛤御門周辺では本格的な戦闘に。このとき長州藩兵は、こともあろうか御所に向けて大砲を放った。これが天皇の逆鱗に触れ、長州藩は再び京の町を追放される。世に言う禁門の変である。この戦闘でついた弾痕が、今でも門に残っており、騒動の激しさを物語っている。

蛤御門
住所 京都市上京区京都御苑
交通 地下鉄「丸太橋駅」「今出川駅」から徒歩10分
 
 
「御用改めである!手向かいする者は、容赦なく切り捨てる!」
多摩から上京した若者が名をあげた聖地。あの場所は今…。

八月十八日の政変以来、再起のチャンスを伺っていた倒幕・尊皇攘夷派の動きに警戒を強めていた新選組は、大量の弾薬を隠し持っていた商人・桝屋喜右衛門を捕縛。調べてみると、彼は近江脱藩浪士・古高俊太郎だった。不審に思った土方は、拷問を始める。すると、古高の口から信じられない情報が…。倒幕派の志士たちが「風の強い日に、大量の火薬を使って京の町に火を放つ」計画を企てていることが発覚。京の治安を守る新選組としては、この計画を放っておくわけにはいかない。近藤隊・土方隊の2手に分かれて、直ちに志士たちの探索を開始。

「御用改めである!」三条小橋で宿を営む池田屋に近藤隊が踏み込むと、そこでは数十名の志士たちが密会を開いていた。屋敷の中に近藤・沖田・永倉・藤堂が切り込み、壮絶な戦いが始まる。跡から駆けつけた土方隊の助勢もあり、新選組は見事に肥後脱藩浪士・宮部鼎蔵を始めとする倒幕派の志士たちを一掃。近藤・土方らは幕府から旗本・御家人という身分も与えられ、名実ともに武士となった。「武士になる」そう夢見ていた多摩出身の若者たちは、その名を一気に世に知らしめたのだ。

「池田屋事件で、維新が数年遅れた」とさえ言われる大事件だが、今では池田屋跡地はパチンコ屋になっており、「池田屋騒動跡」という小さな石碑が残っているだけである。
池田屋跡
住所 京都市中京区三条通河原町東入中島町
交通 京阪線「三条駅」から徒歩3分


 
夏の京都は、うだるような暑さで外を歩いていられない。人からの話で聞いてはいたが、まさかここまでとは。タクシーの運転手さんによると、「沖縄出身の人でも夏の京都には耐えられない。北海道出身の人でも、冬の京都では凍えそうになる」のだそうだ。現代のようなコンクリートからの照り返しもなく、比較的過ごしやすい気候の多摩で育った近藤たちは、京都での生活は辛くなかったのだろうか。エアコンや扇風機のある生活に慣れきってしまった私には、少々きつい旅だった(苦笑)。
今から約140年前、確かに新選組はこの地で活躍していた。京の町を巡回し、不逞浪士を討伐。そして、池田屋事件後に近藤たちは念願の武士になる。彼らの足跡を追って京に向かった私にも、池田屋事件のような転機が訪れることを祈りながら、京都編は次回へ続く

取材・文/こぐま


 

 
 
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