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(東京都日野市付近)
土方歳三、井上源三郎のふるさとであり、近藤勇や沖田総司が剣術の出稽古に来ていた日野。ここはかつて甲州道中の宿場町として栄えていた。宿場の名主は佐藤彦五郎。土方の義理の兄である。今回は、江戸から甲州方面へ向けて日野宿を歩いてみる。
 多摩川・日野の渡し跡
 日野宿本陣跡
 大昌寺
 
 
幕末版・モノレール!?
渡し舟で、いざ江戸へ!甲州へ!!
現在、多摩都市モノレールが走っている立日橋。今でこそ、徒歩でも横断できるこの場所だが、新選組が活躍した幕末には、甲州道中を往来する人々が多摩川を渡る際に利用していた。

「渡し」とは、川を渡るための船着場のこと。最近では「タマちゃん」が住みついていたことでも全国的に有名になったこの川だが、かつては流れが急で、洪水が多い暴れ川だったそうだ。江戸時代初期に、東海道と多摩川の交差地点である六郷に架けられた橋が洪水で流されて以来、明治になるまで1つも橋が架けられることはなかった。日野の渡しが廃止され、立日橋が架けられたのは大正15年。それまでは土橋が築かれる冬の時期を除いて、船で往来していた。

日野宿を行き交っていたのは、高島藩の諏訪氏、高遠藩の内藤氏、飯田藩の脇坂氏・堀氏など参勤交代のための大名行列のほかに、交替寄合の旗本、将軍警護のために移動する八王子千人同心、将軍家御用の茶壷道中などで、幕末期の年間通行者数は約1万人だった。現在の日野駅は、JR中央線快速電車の19番目の停車駅。1年間の乗車人員は約950万人だそうだ。当時がどれだけ静かだったのかを、数字でも偲ぶことができる。
日野の渡し跡
交通 多摩都市モノレール「甲州街道」駅から徒歩10分
 
 
いわば新選組の多摩支局。
近藤、土方、沖田、井上といった多摩ゆかりの男たちは、ここで絆を深めた!
 
日野宿は、甲州道中の府中宿・横山宿(八王子)の間にある比較的規模の小さな東西約1kmに渡って広がる町。その中心部には「本陣」と呼ばれる大きなお屋敷があった。宿場の取りまとめ役である名主が住み、宿場の事務所機能も果たした建物である。日野宿本陣跡は、東京都内で唯一残る本陣。建築物そのものにも、さまざまな技法を使った工夫がこらされている。建築家の目から見た日野宿本陣について詳しく知りたいという諸君は、ぜひ酒井哲氏のコラムを!

幕末に日野宿の名主を務めていたのは、佐藤彦五郎という人物。土方歳三の姉・のぶと結婚したため、彼らは義理の兄弟になる。幼くして母親をなくしたために「お姉ちゃん子」だった土方も、よくこの屋敷を訪れては庭先を眺めながら昼寝をしていたと伝えられている。

「開国か」「攘夷か」と揺れ動く当時、全国で物騒な事件が相次いでいた。宿場という重要な町を任されている彦五郎としては、剣術を治安維持のために役立てようという思いもあったのだろう。敷地内に道場を建築し、のちに新選組局長となる近藤勇や一番隊隊長となる沖田総司を招いて、剣術の稽古を行なっていた。この道場には、近くに住む井上松五郎・源三郎兄弟の姿もあった。松五郎は八王子千人同心として、源三郎はのちに新選組六番隊隊長として活躍する人物である。近藤、土方、沖田、井上という、多摩ゆかりの人物たちは、この場所で絆を深めていった。

彦五郎は、近藤、土方らが浪士組として京へ向かった後も、彼らのよき理解者として経済面、精神面でバックアップした。新選組の面々も、江戸城へ向かおうとする官軍を迎え撃とうと甲陽鎮武隊を結成し、甲府城へ行軍する途中に立ち寄るなど、彦五郎を頼りにしていた様子が伺える。箱館戦争で死を覚悟した土方は、隊士の市川鉄之助に自らの写真と手紙を持たせ、日野の佐藤家へ届けさせた。自分の戦死を知らせるためである。

市川鉄之助が身を隠した部屋。普段は佐藤家の人間しか入ることを許されなかった間だという。 名主事務所として使われていた間に飾られている書。右から音読みすると「のぶのぶ」。愛妻家ぶりが伺える。 病気療養中の沖田が、相撲の四股を踏んだとされる式台。江戸生まれの彼も、多摩を愛していた。

    
    
日野宿本陣跡
住所 東京都日野市日野本町2-15-9
電話 042-587-0013
交通 JR中央線「日野駅」から徒歩10分
公開時間 10:00〜17:00 ※最終入場16:30
営業日 新選組フェスタ期間中無休
※2004年1月10日〜10月31日
入館料 一般/300円、子供/150円
 
 
文の道で大成した佐藤彦五郎。
誰もいなくなった多摩で、新選組復権のために奔走!
日野宿本陣からほど近い大昌寺には、佐藤彦五郎、のぶ夫婦が並んで眠っている。

彦五郎は甲陽鎮武隊の編成に際して、地元・日野で稽古に励んでいた天然理心流の選抜メンバーで組織した春日隊を率いて、近藤たちを助けるために甲州勝沼の戦いに参加している。敗走後は、新政府軍の厳しい取調べを受けるが、潜伏して難を逃れた。

近藤も、土方も、沖田もいなくなった1878年、佐藤彦五郎は初代多摩郡長に就任。武の道で名を馳せた近藤や土方に対して、彦五郎は文の道で大成した人物なのだ。

明治維新の後は、小野路村(町田市)の名主・小島鹿之助らとともに、近藤勇・土方歳三を祀った殉節両雄ノ碑(高幡不動尊)を建立するなど、新選組の名誉回復に努めた。彼なくして、現代のような英雄イメージの新選組は存在し得なかったのである。
大昌寺
住所 東京都日野市日野本町2-12-13
交通 JR中央線「日野駅」から徒歩7分

 
江戸時代、多摩の大部分は将軍家の直轄地であったため、藩主による厳しい年貢の取り立てから逃れることができた。そのために幕府に対する忠誠心とプライドは高く、その土壌が近藤や土方たちの「誠」の志を生んだのだろう。
現代の多摩はどうだろうか?政府に対する忠誠心はわからないが、プライドは結構高いのではないかと思う。かつて、将軍家を支えてきたというプライドは、今でも首都・東京を支えているというカタチで多摩の人々の心に残っている。そう思う。
取材・文/こぐま

   
 

 
 
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