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『夏への扉』

 青梅駅から歩くこと数分、キネマ通りを登り、青梅線の架橋へ差しかかると線路の対岸に一風変わった建物が見えてくる。和風とも洋風とも言えない古びた外観が印象的だ。よく見ると右側に傾いているようにも思えるが、それすら建物の風景の一部になっているようだ。
 窓と窓の間に取り付けられている絵がこのお店の看板である。無骨な黒描だがなかなか愛嬌がある。右側に傾いているのを意識してか、左側に向かって踏ん張っているようにも見える。 看板には「夏への扉」と書いてあった。

どこかで聞いたことのある名前だ……。
 

 ドアを引いて店内に入ると、扇形に敷かれた煉瓦敷きの玄関ホールが迎えてくれる。狭い通路を抜けてフローリングの店内へ進むと、コーヒーの香りが。。。そう、ここは喫茶店。フローリングの上を靴で歩く時の軽い感触が心地いい。木造の洋館でしか味わえない感覚なのだ。黄ばんだ漆喰塗の内装は年代を感じさせる。特に凝った装飾はないが、壁と天井の取り合い部分のシンプルな曲線が美しい。柔らかい冬の光が差す窓側の席に腰を下ろし、少し早めのランチセットを頼んだ。
 昭和初期の臭いのするレトロな空間を楽しみながら、先程見た看板のことを考えていた。そういえば、昔読んだSF小説のタイトルが「夏への扉」だったような……。著者は確かロバート・ハイライン。店主(山田さん)にその旨を訪ねると、笑顔で返してくれた。店の雰囲気も申し分ないが、屋号の由来となった小説を読んでいたことを知り、妙に親近感が沸いてきた。

 食後のコーヒーを飲みながら、窓越しに切り通しを抜ける電車を眺めた。青梅線は東青梅駅までは複線なのに、ここ切り通しがあるせいで青梅・東青梅間は単線となっているのだ。眼下を走る電車が東京駅まで行っていることを忘れてしまいそうなほどのんびりとした時間が流れていた。


「夏への扉」を読んだのは学生時代だったと思う。時間旅行の話だった記憶がある。実家帰った時に、本棚を探すと埃を被ったハヤカワSF文庫を何冊か見つけることができた。その中に「夏への扉」があった。会社を辞めて再就職するまでの数ヶ月間、実家に戻っていたことがあったので、その時に持ち帰った本だ。引越の度に、文庫本などは処分してしまうのだが、思いがあって捨てなかったのだろう。久しぶりに手に取ってみると表紙に猫の絵が描いてあった。「あの猫だ……」。僕は小説を2度読むことは滅多にしないのだが、珍しくそういう気分になった。
 時は1970年の年末、30才の主人公ダンと相棒の猫ピートが2000年の世界にタイムスリップする。「夏への扉」はピートが探し求めていたパラダイスへの入口から、後に時間を移動する空間装置の象徴としてダンとピート共通のテーマになっていく。小説を最初に読んだ時は20代前半だった。1970年生まれということもあり、2000年にちょうど30才になっているであろう自分とオーバーラップさせながら読んだことを思い出していた。あの頃、2000年は大いに興味深い世界で、物語自体が未来に対する予言的な意味合いがあった。

 だが実際の2000年はハイラインの予想とはかなり違っていた。小説の書かれた50年前と現在では、衣食住という見た目の生活はそれほど変わっていないが、「情報」という分野では当時では想像が付かないほど進化している。SFの世界では80年代からサイバーパンクが登場し、いわゆる現在の社会の延長に近い電脳の世界が画かれるようになっていく。「夏への扉」はまだ機械としてのロボット時代のSFで、そこにはアンドロイドもレプリカントも登場していない。当時のアナログ的な発想の未来予想が、デジタル抜きでは語れない現在では逆に新鮮に思えた。


 この建物は昭和初期に下見板張りの普通の和風建築と建てられ、戦後に一部を洋風の診療所に改修したとのこと。敷地が傾斜地のために、キネマ通り沿いは2階建てで、その反対側は3階建てと複雑な形をしている。1970年代まで診療所として使われ、15年程前に山田さんがこの建物を借りて、こつこつと改修しながら現在のような喫茶店となった。
 フローリング敷きの店舗に隣接して四帖半の茶の間、そしてその奥に八帖の座敷がある。ここも、昔の雰囲気を残しながら山田さんが手を加え、喫茶店が満席の時は臨時の客間として開放している。

 建物が傷んだら修理し、住人が増えれば増築を、用途が変われば大規模な改修もする。その時代ごとの変化が外観に反映されて特徴的な建物になった。当事者はそれなりに真剣に考えて建物に手を加えたはずだが、完成度の高すぎない、緊張感から開放された美学がここにはあるような気がする。

 友人はこの建物を見て「ハウルの動く城」だと言っていた。なるほど〜確かにそうかもしれない。人の心に語りかける不思議な建物だ。あなたも青梅に降り立った際には、寄ってみてはいかがだろうか。

 「夏への扉」が開くかどうかは、あなたの記憶次第。。。
 


 
 
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