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「日野本陣」

  日野本陣を訪れるのは久しぶりだ。以前「日野館」だった頃に蕎麦を食べに来たことがある。当時は土間と広間が客室として開放されていた記憶があり、総欅造りの民家という印象を受けた。この度、日野市の指定文化財として公開されたと聞き見学してきた。

 

 

 式台のある切り妻屋根の玄関はいつ見ても素晴らしい。この式台を上がって内部に入れるかも……と期待していたが、今回も蕎麦屋時代と同じ土間からの入場であった。残念!
 大河ドラマの影響もあり、新選組フェスタのスタッフが建物にまつわる様々なエピソードを、熱く語ってくれた。佐藤彦五郎と新選組の話は彼らに譲るとして、ここでは目で見て楽しめる建物の話題に焦点を当ててみたいと思う。

    

 

 日野本陣は大きく分けて、2つのゾーンに分けることができる。佐藤家が日常的に使った生活空間(上図斜線部)と本陣の接客空間として使われた書院造りの部分だ。これらの空間は内装の違いで簡単に見分けることができる。
 引き戸を支える下枠を「敷居」、上枠を「鴨居」、鴨居の上に付く装飾材を「長押」と言うが、この引き戸の枠部分に着目して違いを追ってみたい(下の写真を参照)。

 まずは生活空間だった、土間と広間(以下部屋名は復元図に準じる)。ここの特徴は「差し鴨居」が使われているところだ。差し鴨居は鴨居と梁の二役を担っている材料で、梁に建具の溝が掘ってあるとイメージしてもらいたい。材料は全て欅で、重厚感のある町屋の造りとなっている。視線を頭上の梁から足下に移そう。土間から広間に上がる式台の蹴込み板には「流水紅葉」の彫刻が施されているのがわかる。こういうちょっとした細工が骨太な空間を品のある空間にしている。「流水」は世の流れに例えられると言うが、変わりつつある時世をあんじていたのだろうか。

 広間を抜けて玄関の間に入ると、部屋の雰囲気ががらっと変わる。ここから奥が本陣の空間だ。
「鴨居」の上に「長押」が付いているのが確認できる。現在では和室に長押を廻すことは一般的に行われることだが、江戸時代は下級武士の家では座敷であっても「長押」を使うのを禁じている藩があったほど、格の上下を規定する装飾材だった。本陣の部分には廊下も長押を廻しており、土間や広間との格付けを明確にしている。

 

 さて、今度は「長押」の部分に注目してもらいたい。長押と吊り束を固定するための釘を被う金物を「釘隠し」と言うが、この「釘隠し」によっても部屋の格付けを分けていたのがわかる。現在の本陣の部分に使われている釘隠しは「蝙蝠(コウモリ)」と「菱型?(正確な名前を調査中)」の二種類だ。控えの間の部分だけがコウモリの釘隠しとなっている。
 コウモリというと我々現代人はすぐに暗いイメージとリンクさせて忍者の潜んでいた部屋などと勝手な想像をしてしまいがちだが、当時の人にとっては「蝙蝠」の漢字が「福」の字に似ていることから「福よ来い」と言う縁起物の一つだったようだ。そのため、コウモリが部屋の中へと入ってくるように、下降方向に飛んで来るように取り付けられている。ちなみに控えの間は日野本陣の中で唯一当時のままの座敷だと思われる。

 

 ここの控えの間では特筆すべき点がもう一つある。二つの控えの間と中廊下との境の柱がないことだ。間取り的には柱を入れてしかるべきだが、ここではあえて柱を抜いてしまっている。柱間(柱と柱の離れ寸法)が三間半と建物の中で最も広くなっているので太い梁が天井の上に架けてあることが想像できるが(広間の柱間が三間なので、広間よりも太い梁が入っているはず)、室内側からは全くそのことが解らないような内装になっている。建築屋としては、この不安定な空間が気になる!これは余談だが、住宅を設計しているときに、柱が邪魔だから抜いてほしいと言われてることがある。実際、抜けない柱は無いのだが、必要な柱を抜くのはそれなりに大変だ。柱を抜くことによって生じる効果が大きくないかぎりあえてやらない作業と考えられるが、本陣の場合はその効果とは何だったのだろうか……。

 中廊下の南側は本来は「中の間」、「下の間」に分かれており、その奥に「御前の間」、「上段の間」があったが、この部分は他の場所に移築されて現在は見ることができない。公開されている本陣では「中の間」、「下の間」のあった場所は12.5畳の座敷として改修されてはいるが、本陣の最上位の空間を想像させる場所にしてはちょっとパンチ不足かと思われる。庭に面した縁側に、移築された「上段の間」の写真が展示してあった。やはり書院の付いた格式高い場所だったようだ。

 

 本陣は大名・公家・幕府役人などが宿泊した旅宿で、豪農の民家、町屋とは建物としての性格が違う。身分の差によって使うべき部屋が明確に分かれた平面構成がその特徴と言えよう。日野本陣では玄関から奥へ入るに従って、直線的に上位の空間へと変化する間取りとなっているだけに、「奥」がないのは残念だ。将来「御前の間」、「上段の間」を復元(あるいは移築)する計画もあるようなので、その時が待ち遠しい。間取りが完成されたら、是非とも式台のある正面玄関から上がってみたい。きっと封建時代の縮図を疑似体験できる格好の場所となるだろう。

 

参考文献
・「日野本陣」 日野市教育委員会生涯学習課
「新選組のふるさと日野」:日野本町の人形店 (株)鈴藤のホームページ

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