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〜〜アメリカ村(立川市)〜〜

 国営昭和記念公園(立川市)の北側に「アメリカ村」という集落があるのをご存じだろうか?「アメリカ村」は1950年頃に米兵やその家族向けに建てられた住宅地で、下の写真のように日本離れした風景が今でも広がっている。横田基地内に高層住宅が建設された1970年代以降は、アメリカ兵の多くはこの地を去り基地に移っていったが、空いたハウスに日本の若者達が移り住み、開放的な空間の中で数多くのアーチストがこの場所から誕生したとされる。

現時的住宅風景

 武蔵砂川駅から歩くこと15分、ハウスメーカーの住宅の建ち並ぶ「現代日本的」な街並みを抜けると、それまでとは打って変わって空の開けた住宅街が突然広がっている。白く塗られたコンクリート塀を境に風景が変わるので、まるで国境を越えたような感覚を受ける。ここが「アメリカ村」だ。
 真っ直ぐ伸びた道に平屋建ての規格住宅が規則正しく建っている。画一的な風景は先ほど通ってきた日本の住宅と同じだが、この開放感を言葉に表すのは容易ではない。道路自体も確かに広そうだが道路境界から車一台分(約4.5m)以上建物がセットバックしてること、そして住宅間のフェンスがないので視界を遮る物がない。何よりもきれいに刈り揃えられた緑の芝生。村全体で100戸はあるだろうか、あまりにも衝撃的な街並みは正に外国だ。

  
裏庭

 晴れた休日には、庭先でバーベキューでもしていそうな雰囲気だが、思いの外、静かだった。壁や屋根はペンキが塗られ十分手入れが行き届いているにもかかわらず、住居の大半は空き家なのだ。管理された芝生と外部の人気の無さは、どことなく映画のセットのような印象だ。人間臭さが欠如した街並みだ。「カラー・オブ・ハート」や「シザー・ハンズ」のようなフィクション系の映画に出てくる街並みと言えばわかりやすいだろうか。
 『フェンスの向こうのアメリカ探険』で知られる谷道健太氏のサイト
「タニミチワールド」のなかに「米軍ハウスが生活臭を感じさせないワケ」が解説されている。内容を要約すると米軍ハウスの居住者は自分の敷地(庭)の維持管理をする義務があり、芝生が規定の寸法以上伸びるとペナルティーを受けるそうだ。レッドカードが渡されると居住権を奪われる程厳しいものだったらしい。アメリカ村は基地の外の米軍ハウスだが、その芝生文化は現在でも引き継がれている。ほとんど米兵がいなくなった今でもきれいに生えそろっているところを見ると、芝生に対する思い入れが並大抵のものではないようだ。

  
廃屋

 米軍ハウスの中はどうなっているのだろうか?そ〜っと空き家の中を窓越しに覗かせてもらった。平屋建てなので狭いだろうと思っていたが、内部は案外広く80平米弱あると思われる。フローリング敷きの床に造り付けの収納、カウンター式のキッチン。戦後の日本の住宅事情を考慮すると、当時の日本人にとっては、ここはブラウン管でしか見られなかったアメリカが実在する憧れの場所だったに違いない。間取り的には3LDKくらいだろうか。現在のマンションにおけるnLDK住居の原型がここに既にあった。いかに当時のアメリカが豊かだったかここからも垣間見ることができる。

  
壊れた壁

 空き屋の中にはペンキの塗り替えもされずに放置されたままの住宅も何件かあった。外壁が崩れ落ちた部分では当時の日本の家屋同様、モルタルの下に木摺り下地と柱が見えた。どうもアメリカの2×4構法ではなく、日本の大工によって在来軸組構法で建てられているようである。日本的な外壁を採用しながらもデザインはアメリカ風で、軒や庇の出が極端に浅いために外壁の傷みが目立つ。戦後50年という時の流れも無視できない。

 70年以降にここに引っ越して来た日本の若者はどこに行ってしまったのだろうか。残念ながら現在のアメリカ村はゴーストタウンと化していて、アートの発信場所としての面影はもう感じることができなかった。このまま朽ち果てるがままに放置されてしまうのであろうか。

「アメリカ村」は存在したが、「アメリカ」はもうそこにはなかった。抜け殻だけが置いてきぼりにされていて、手入れされた芝生が無言で何かを主張しているように思えた。

  
ランドリーゲート

 立川基地は確かに存在したはずだが、かつての遺構を探すのは難しい。基地が返還された1977年まで栄えていたランドリーゲート付近も現在では地図を片手に歩かないと見つけることができない。既に実体が無くなっているので、かろうじて横断歩道だけがゲートがあったことを示唆しているくらいだ。
 そんな中でアメリカ村は「村」として奇跡的に残っている地域といえる。返還前後に日本人がアメリカと解け合った希有な場所。そこに移り住んだ人々は定住の場所としてではなく、異文化を享受するための一過性の場所としてそこでの時間を謳歌したのであろう。そして、そこを卒業していった。

  
砂川ゲート

 アメリカ村からわずか5分程歩いた所に国営昭和記念公園の砂川ゲートがある。周知のとおりこの公園は飛行場の跡地にできたものだが、園内でその面影を探すのは難しい。それどころか、意図的に「昭和」という時代にこの土地で起こった出来事を排除したようにも思える。このゲートのデザインも砂川地区の昔の風景を加味して設計されたようで民家風(かなりスケールアウトしていて重たい印象だが)となっているが、昭和以前の景色と言える。

 アメリカ村は戦後の日本が追い求めた理想の住宅像だったと思う。つまり高度経済成長期の原動力になった一つのライフスタイルがそこにはあった。老朽化の進む住宅群を公園の内部に取り込み改修をし、体験宿泊施設として利活用できないだろうか。敷地的にもほぼ公園と隣接してるので、無理な話でもないだろう。アメリカ村は「戦後の昭和」という時代を説明するのに相応しい生きた文化だったと思う。昭和を記念する公園なのだから、このような施設が園内に一つくらいはあってもいいのではないだろうか……。

アメリカ村関連サイト
タニミチワールド
ハウスアート
参考資料
・「住宅」という考え方:村松秀一 東京大学出版会

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