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日本の夏の「ご満悦」は。是即「和流」
 

「真夏の夜の風物詩」といえば、日本人なら誰もが思い描くのが「花火」。
日本有数の歴史と実績を持つ、花火企業が多摩地域のあきる野市にある。
花火といえば、華やかで、人を楽しい気持ちにさせてくれる光の芸術。しかし、その一方で原材料は火薬であり、ほんの少しの油断が人命に直結する危険な仕事でもある。私たちが歓声を上げている、その花火の下では、張り詰めた空気の中で、危険と隣り合わせの打ち上げを行っている人々がいるのだ。私たちの歓声がききたくて−。

細谷圭二氏プロフィール

1963年生まれ。大学卒業後、家業である(株)ホソヤエンタープライズ入社。 日本全国の花火大会に加え、海外での花火打ち揚げを行うほか、年に数回行われる各種競技会も参加。映画やテレビ番組、ステージでの特殊効果、海外の工場への技術指導などの業務を展開。

  >>株式会社ホソヤエンタープライズホームページ

 


(株)ホソヤエンタープライズ(屋号:藤棚)4代目細谷圭二氏に、お話を伺った。花火職人としての仕事は22年目、会社は今年創業100年目を迎えるという。そんな伝統産業の家系に生まれた細谷圭二氏の育った環境は、いたって、普通の家庭と変わらなかったようだ。

−花火屋に生まれて
実は自分は、ここ、あきる野市ではなくて、福生で育ったんですよ。家業が花火屋だってことは、もちろん知っていましたが、製造工場内で暮らしているわけでもないし、ほとんど、よその家庭と変わらなかったと思います。親父は夏場は、ほとんど家にいなくて、代わりに、当時扱っていた玩具花火をダンボールに3箱も4箱も、ぽんと持ってきて、うちに置いておくんです。「好きなだけやれ。」ってことなんでしょう。
最初は楽しく遊んだんですが、いかんせん量が多いでしょう。もう嫌になっちゃって。ただ、友達にはウケましてね、花火目当てに毎日大勢遊びに来ていました。
余談ですが、自分も、夏場は家にいることがほとんどないです。これは花火屋なんだから仕方ない、と家族にはあきらめてもらっています。


−花火職人になろうと思ったきっかけ
志したのは大学生の時です。世襲ということは、うちの場合はありませんでした。むしろ、先祖には花火で命を落とした人間もいますから、「やらせない方がよい」という声があったくらいです。大学時代は、勉強したり遊んだりして、それなりに過ごしていたのですが、正直あまり面白いことがありませんでした。そんなときに親父が、打ち上げ現場に自分を連れてったんですね。いきなり「玉を入れろ」って打ち上げをやらされた。無我夢中でやった打ち上げでしたが、轟く音、そして自分が打ち上げた花火、遠くから聞こえてくる大歓声に、すっかりやられました。
「なんでもっと、こんな面白いこと早く教えてくれなかったんだ」って、本当、そう思いました。この1発で、花火の仕事につくことに決めたのです。

−厳しい修行
それからは、もう一心不乱に修行です。それは厳しいものでした。体罰ではないですけど、冗談抜きで、棒を振り上げられることもありました。それくらい怒るほうも真剣なんです。まず、われわれが扱うものは、「火薬」です。絶対にミスが許されない仕事です。うっかりミスで、事故が起こった場合、自分だけが命を落とすならまだしも、多くの人を巻き込んでしまうわけです。ひたすら怒鳴られながらも仕事を1つ1つ身体で覚えていきました。

−3尺玉に魅せられた
1人前になり、隅田川両国花火大会などで優勝することができるようになったころ。
まだ当時ホソヤエンタープライズで手がけたことのなかった「3尺玉」をどうしても作りたくなりました。3尺玉とは1尺が約30cmですから、その3倍の90cmの直径の玉です。詰める火薬は約80s、総重量は280s。上がる高さは600m、開く花火の大きさも600m、という、とてつもないスケールのものです。ちなみに現在東京都で行われる花火大会では、保安距離の関係で、尺五寸玉(直径45cm)が限界となっています。
話を3尺玉に戻しますと、3尺玉の製造方法を覚えるために、新潟県加茂市の阿部煙火工業(株)の故阿部正平氏に弟子入りをお願いしたのです。他の花火屋息子が、門外不出の技術を教えろ、というのですから、何度お願いしても断られました。それでも、夢はあきらめるわけにはいきません。めげずに、ひたすらお願いを続けたところ、ようやく弟子入りの許しをいただくことができました。
その後、3年間新潟で一心に修行をしました。厳しさたるや、自分では大変だったと思っていたそれまでの修行がふっとぶほどでした。しかし、教えると決めた以上、阿部師匠は、教え惜しみというのでしょうか、そういうことはなかったです。むしろ、普通の弟子より、もっと深いところまで教えてくださったように思います。いきなり3尺玉の製法と、いうわけでなく2尺玉、3尺玉と順をおって、1つ1つ、ものにして、会社に技術を持ち帰ることができました。この尺玉は、新潟の長岡の花火大会が有名ですから、1度見てみたいという人は、お出かけになられてはいかがでしょうか。

−花火師とは
正確には花火師という仕事はないんです。皆さんがお越しになるような花火大会をはじめ、いわゆる「打ち上げ花火」を生業にする人を、第三者から「花火師」と呼ばれるようです。よそから玉を買ってきて打ち上げだけを担当する場合も花火師と言われますが、業界的には「打ち上げ屋」等と呼ばれます。ホソヤエンタープライズでは、創業以来製造から打ち上げまで全てを自社でまかなっています。

−花火師への道
花火師になりたいと、この業界に飛び込んでくる若者も多いのですが、なかなか長続きがしないのが現状です。「人に夢を与えられるから」「日本の伝統文化を守りたい」「芸術を生み出す職人になりたい」・・などの憧れだけでは、とてもつとまる仕事ではありません。花火業界には「玉貼り3年、星掛け5年」
※@という言葉があります。製造から打ち上げまで担う、一人前の花火師になるには、実質10年は軽くかかります。花火の1つ1つはとてもきれいなものですが、仕事内容は地味で、体も汚れますし、拘束時間も大変長いです。また火薬取扱ですから、精神的にも緊張をいたしますし、命の危険とも隣り合わせです。生半可な覚悟では、とてももちません。それでも、花火の仕事をする人間が私のようにおりますのは、一言で言って「花火に魅入られてしまった」ということなのだと思います。
※@玉貼りとは星を詰めた玉にクラフト紙を貼る作業。
星掛けとは芯に粉状の炎色剤をまぶし、長い時間をかけて粒を太らせる作業。この粒は「星」と呼ばれ、花火のパーツになります。

参考リンク:ホソヤエンタープライズ 花火のできるまで

−花火製造という仕事
現在ホソヤエンタープライズでは、全ての花火の製造を南伊豆の妻良で行っています。花火職人が、工程を分担して、製造しています。花火作りの工程は、どれも非常に細やかで、神経を使うものです。球状の花火というのは代々受け継がれてきた日本独自の技術ですが、それには、構成する全てものが「均一」の品質でないといけません。均一の配合で、均一の星を作り、均一に玉につめて、均一に表面をクラフト紙で包むのです。クラフト紙の素材も均一でないといけません。この場合の均一は「上質な均一」という意味でもあります。バランスが良く、質の高いものを完成までしっかりと各工程でリレーしていくことが大事です。1つの工程で不均一が生じると、思ったような、花火は決して出来上がりません。形がゆがんだり、発色が悪くなったり、打ち上げがうまくいかなったりします。手先が器用で、緊張感を持って、真摯に仕事に取り組む精神力のある日本人ならではの技術と申しますか、他の国では、真似のできないものだと自負しています。

−打ち上げという仕事
打ち上げには色々な方法があります。また打ち上げる場所も様々です。例えば隅田川花火大会では、川に台船を浮かべて、あらかじめ玉を仕込んだ筒を大量に設置します。花火大会で打ち上げる花火を構成するにあたって重要なのが、「保安距離」
※Aです。我々が一番注意を払うのが「安全」です。見に来てくれたお客様は必ず「安全な距離」で見ていただきます。打ち上げる花火の号数の上限も、おのずととれる保安距離で決まってまいります。保安距離内には、関係者以外絶対に立ち入ることができません。人口の多い東京では、尺五寸玉(直径45cm)が限界となります。
※A「保安距離」とは安全のために打ち上げ地点から最低限離れなければいけない距離のこと

打ち上げでは、事前に打ち上げの環境を整える作業から行います。事故防止対策を施しながら、足場を組む、筒を設置する、など、すさまじい忙しさです。絶対に事故を起こすわけにはいかないので、現場の緊張感も真骨頂です。携わる人間誰もが、無駄な動きはしません。少しの気のゆるみが大事故になるわけです。そういったピリピリした中ですが、花火を打ち上げると、一発一発ごとに、みなさんの歓声が現場に届くのです。花火師はそんな時、なんともこたえられない気持ちになるものです。花火大会が終わると、現場の片付け、掃除、不発の花火があった場合の捜索などがありますので、帰るのは零時をまわります。また、その翌日も、必ず、早朝に現場で昨夜の不発の探索作業をおこないます。

−花火大会以外の仕事も
各種イベントやコンサートの仕事も手がけています。世界のビッグスターや誰もが知っている歌手やグループのコンサートを花火をつかって演出する裏方仕事です。開催場所によって、いろんな制約がありますが、その枠の中で、色々と工夫しています。歌い手のイメージを色に置きかえたり、歌にあわせて、花火を構成するのです。状況が千差万別なので、時には海に台船を据えて打ち上げることもあります。
また海外でも日本の花火は「Japanese Fireworks ジャパニーズファイヤーワークス」と呼ばれ、人気があり、様々な国に遠征して打ち上げています。

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大正初期頃の細谷花火店
二尺玉紅芯錦冠菊
二尺玉
三尺玉
二尺玉の打ち上げ筒をのぞいたところ
黒い1粒1粒が星
均等に詰める
多くの人の手をへて、誕生する花火
打ち上げ筒
号数の違いがわかる
花火資料館(非公開)
構造模型
     
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